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2020.04.20

民謡の背景を紐解き、歌い継ぐ「びわ湖の歌姫」

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民謡の背景を紐解き、歌い継ぐ「びわ湖の歌姫」

(画像提供:塚田さん)

 民謡歌手「びわ湖の歌姫」こと塚田 陵子(つかだ りょうこ)さん。唄うことはもちろん、民謡の背景を掘り下げ語り伝える「うたと語りのニッポン案内人」として、滋賀の魅力を発信し続けています。塚田さんがなぜ民謡に惹かれたのか、滋賀にはどのような民謡が伝わっているのか、お話をうかがってきました。

「民謡」との出会い

民謡の背景を紐解き、歌い継ぐ「びわ湖の歌姫」

(画像提供:塚田さん)

 塚田さんが生まれたのは、長浜市の旧びわ町。山手を見れば田畑が広がり伊吹山が、琵琶湖の方を見れば、姉川河口に漁師町、竹生島も町内に含まれる自然豊かな町。江戸時代からの人形浄瑠璃文化が残る歴史的価値のある土地でもあります。「地域の子どもたちは純粋な子ばかりで平和な町です」と話してくれました。

 塚田さんと伝統音楽との出会いは、父親の影響で11歳頃から習い始めた箏(こと)でした。
 当時は、正義感に満ち溢れた負けず嫌いな女の子で、生徒会長・学級委員も任された「優等生タイプ」だったそうです。
 高校卒業後は長浜を離れ、京都外国語大学へ進学。もともとのアクティブな性格に、海外への興味が加わり、バックパッカーとしてアメリカ大陸を長距離バスで一周したこともあったそうです。
 ブラジルのボサノバ、アメリカのブルースなどたくさんの音楽に触れ、それぞれの歌が持つ音や雰囲気は、歌う人の体格・骨格による発声や楽器の音色の違いだけでなく、生活や歴史、背景が大きく影響していると実感。同時に渡航前には気づかなかった日本語のもつ「魂」や日本の文化、宗教観、道徳観に惹かれ日本の音楽性と地域性を色濃く残した「民謡」を唄いたいと、突き動かされるように民謡の道へ進んだそうです。

ふるさとへの思い

民謡の背景を紐解き、歌い継ぐ「びわ湖の歌姫」

 現在、塚田さんは長浜を活動拠点にしていますが、大学卒業後からしばらく京都で仕事についていました。
転機となったのは2011年。NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」でふるさとの小谷城が取り上げられたことや、東日本大震災でのボランティア活動で、ふるさとやものに対する価値観が変わり、長浜に帰郷したそうです。

民謡について

民謡の背景を紐解き、歌い継ぐ「びわ湖の歌姫」

(イメージ画像)

 民謡は生活のなかで自然発生的に生まれたものが多く、子どもを寝かすために即興で作った歌、人々の願いが込められた歌、作業の辛さを紛らわせるための歌、仕事や作業の手順や時間の目安などを伝える歌などが残っています。

 歌謡曲やクラシック曲のように楽譜が残されていないので、同じ民謡でも人や地域によって、節回しが変化することもあるそうです。

 地域によって方言のような特徴や、雰囲気、発声、こぶしの回し方、「間」などに細かな違いもあり、そこをカバーするのがは民謡の「背景」です。地域の文化や産業、歌われる場面やストーリーを思い描いて歌うことで、元々の民謡の形に近づきます。そのような民謡の「背景」を読み解いていくのも魅力のひとつだと塚田さんは話してくれました。

滋賀の民謡

民謡の背景を紐解き、歌い継ぐ「びわ湖の歌姫」

 滋賀で有名な民謡は、盆踊りの「江州音頭」やお座敷唄の「淡海節」ですが、土地に根付いた民謡は多々あり、各地域の歴史や風土に合わせた生活の営みがみえてくるそうです。

 土山に残る「茶摘み唄」、長浜の「桑つみ唄」からは、地域産業や作業の様子が分かります。滋賀の山手に残る太鼓踊りで歌われる「雨乞い唄」には、地域住民の願いや治水状況が見て取れます。鈴鹿山脈方面には「馬子唄」があり、滋賀が交通の要所であったことも伺えます。

  琵琶湖を舞台にした民謡もあり、「琵琶湖舟唄」には琵琶湖の情景が歌詞にでてきます。

「琵琶湖舟歌」

1、ここはどこよと アー船頭さんに
  船頭さんに問えば ここはいさきの竿の下

2、琵琶湖船頭さんの アーどこがようて
 どこがようて迷た 朝の出がけのほどの良さ

3、どこへ行きゃると アー船頭さんに
  船頭さんに問えば 近江八幡長命寺

 

 他の民謡と同様、誰が作ったのか、どこでいつ作られたのかは資料がないそうですが、塚田さんは、琵琶湖の漁師や、「西国三十三所巡礼」の船頭が吟じた唄だと想像しています。

 第三十番札所「竹生島・宝厳寺」から、第三十一番札所である「近江八幡・長命寺」の交通手段は舟。竹生島から近江八幡に向かう航路で「いさき」と言えば長命寺の北に位置する伊崎寺。歌詞の「いさき」は伊崎寺を指し、「竿」は伊崎寺で毎年8月に行われる修行「棹飛び」の竿(棹)と考えられます。

  陸路がほとんどの巡礼旅で舟の移動は珍しく、船旅の途中で巡礼者が船頭に「ここはどこ?」と尋ねたことや、船頭の「長命寺につく」という安堵の気持ちから「琵琶湖舟歌」が生まれたのではないかと塚田さんは話してくれました。

琵琶湖の漁師が仕事で唄う「地曳網唄」もあるそうですが、現在は唄われておらず、存在が資料で残っているのみ。しかし、唄があったということは、かつて琵琶湖で地曳網漁が盛んに行われていた証拠として考えられると話してくれました。

民謡を歌い、伝えるということ

民謡の背景を紐解き、歌い継ぐ「びわ湖の歌姫」

(画像提供:塚田さん)

 生活の中で唄われていた民謡は、口伝で残されていたそうです。そのため、作業の簡素化や機械化、産業の衰退によって唄う機会が失われ、徐々に衰退していきました。

 しかし、形を変え芸術として残っている民謡もあります。舞台で唄うので発声方法が「魅せる」ために変化していることも多いそうですが、民話の背景に対する歌い手の理解力が芸術としての完成度に大きく影響するそうです。 

塚田さんは出来る限り唄が生まれた場所に足を運び、土地の空気、匂い、食べものや人を体で感じ、唄に込めるよう努力しています。
そして「役者」になったように歌うことを意識し、船頭舟唄であれば何歳ぐらいの船頭で、養う家族は何人、舟はどれぐらいの大きさで、何人を乗せていて、天気や風、時間は・・・・・・と、絵に描けるほど具体的にイメージを膨らませ、それを頭に浮かべて唄うそうです。

これからの活動について

民謡の背景を紐解き、歌い継ぐ「びわ湖の歌姫」

(画像提供:塚田さん)

 これまで多くの民謡コンサートに出演し、講演も行ってきた塚田さん、今後もさらに精力的に活動していく予定です。唄姫として民謡を唄い継いでいくだけでなく、民謡からわかる地域の歴史や暮らしを紐解き、伝えていきたいと話してくれました。特に、故郷・長浜に残る民謡を地域に根付かせたいと、公民館や学校での民謡に関する講演も積極的に行っています。塚田さんの夢は、民謡が町の中で自然と耳に入ってくるくらい身近なものになること。

 探っていけば、忘れられていた地域の歴史が掘り起こされていきそうな「民謡」。唄い、伝えていく民謡Diva・塚田陵子さんのさらなる活躍を期待しています。

民謡Diva 塚田陵子オフィシャルブログ「華音彩々」

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ライター
細川 陽子

京都の海のまちに生まれ、大学で千葉へ。一度は都内で就職するも、結婚を機に滋賀に住むことになりました。現在は彦根で一男一女を育児中。ママコーラス副代表など、新しいことにチャレンジしています。